[飯田圭織、これまでの軌跡。]


第3章・「モーニング娘。」と「愛の種」


「さよならするには、ちょっと惜しい...。」
シャ乱Q・つんくの言葉から、その企画は始まった。

1997年8月20日、運命の発表から6日後、
圭織は高校の制服姿のまま、東京・羽田空港へ降り立った。
向かった先は、赤坂にある吉本興業・東京事務所...
そこには、ライバルとして共に戦ってきた福田・中澤・安倍・石黒の姿も有った
再度、招集をかけられた5名を待っていたのは、あのシャ乱Qだった

つんく「未来へ向かって頑張れるんじゃないかな...。」
選抜した5名を前に、そう語った
つんく「ユニットになるんじゃないかと.....上手くいけば...。」
「あなた達が、どう転がっていくか...。」そして.....
「ラインとして、5人いるんで、5日間で50000枚。
シャ乱Qオーディションの締めくくりとし、
5都市(福岡・大阪・名古屋・東京・札幌)での5日間キャンペーンが提案された
5日間で5万枚完売でデビューなんです

その話を聞いた圭織.....
「いざとなったら、学校、辞めます」
言い切ったあと、笑顔は見せたものの、圭織のその言葉に嘘はなかった
つんく「自分の未来の事を良く考えて欲しい...。」
つんく「本当に、音楽をするか、しないのか...。」
圭織の決断は、自分の夢への前進だった

つんくは悩んだ。ユニット名である。「親しみ...。」
「たこ焼きシスターズ」「食べ放題」「朝定食」「バイキング」「モーニング」(笑)
「モーニングサービス」!? 「モーニング5...モーニング娘!」(苦笑)
「モーニング娘...みんなに親しみやすい娘たちや!(笑)」で大決定!
真面目にVTRを見ていて、真っ先に笑顔を見せたのは、圭織だった
ナイナイのトークで、最後の「。」が着き、「モーニング娘。」と決定したのです

その一方、「モーニング娘。」のメンバーは、再招集で意思の確認...
圭織の「学校、辞めます」発言に対して、
両親は学校との両立、高校卒業を条件に提示
圭織「勉強は...分かんないとこ有っても、
たぶん友達が教えてくれるって言ってるから、
たぶん教えてくれるんで(苦笑)...大丈夫だと思います。」
いつもの調子ながら、意思が堅いことを言葉にしました

そのまた一方、シャ乱Qの和田マネージャーは、5時間にも及ぶミーティングで、
楽曲プロデュースを誰に依頼するかを検討。その結果...
Puffy[吉村由美]の全面プロデュースなどを手がけた、桜井鉄太郎氏
貴重な楽曲提供で、圭織をはじめ、彼女たちにはプレッシャーが!?

動き出した「モーニング娘。」
合宿でもお世話になった笠木先生によるボイストレーニング
そのリハーサルスタジオに駆けつけたスーパー!?テンションズからは、
たいせー「死ぬ気でやらないと、売れません」とのコメント...
そしてジャケット撮影。プロのカメラマンによる撮影では満面の笑顔

1997年9月24日のスタジオ収録、楽曲タイトルが発表された
作詞・サエキけんぞう / 作曲&編曲・桜井鉄太郎
愛の種
前日(9月23日)にカラオケチェックとレコーディング初日をしていた5人
初めてのレコーディング.....
そしてビブラートを使わないという課題.....
桜井氏「いいよスゴく...。」「あとはそんなに注意する所はない...。」
とまどいながらも表情豊かに、精一杯マイクに向かう圭織
25日のレコーディング2日目も、圭織は順調にレコーディングを終えた

しかし...1回目のレコーディングを終え...
圭織「あ、まあ...不安です...。」
圭織だけではなかった。問題を抱えていた中澤を筆頭に、5人が不安の中へ...
迎えた2回目のレコーディング.....
前回の続きながら、1フレーズずつ繰り返し、何度もやり直します
CDの発売に向けて、次々と押し寄せる試練の波...
合宿と同じ夏先生の振り付けレッスン、そしてプロモーションビデオの撮影
試練とプレッシャーとの板挟み、言い知れぬ不安がつのる.....

愛の種」発売初日の大阪までは、あと1週間と少ししかなかったんです.....

<第4章へ続く...>

(執筆:1997.12.15)


第2章・シャ乱Qオーディション(2)
     第3章・「モーニング娘。」と「愛の種」
          第4章・5万枚完売への挑戦(1)


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