[飯田圭織、これまでの軌跡。]


第5章・5万枚完売への挑戦(2)


1997年11月3日。圭織は不安を胸に、この日を迎えた
5日間で「愛の種」5万枚を売らなければならない、発売初日の大阪
落ち込みを隠しきれない足取りで、地下鉄の駅に降りた5人を待っていたのは...
開店2時間前、既に800人の行列。5人に笑顔が戻る
そして10時半、発売開始は30分繰り上げられ、スタートした
HMV心斎橋での1日、その後は記録のラッシュだった。
発売開始4時間後には、Say a Little Prayer が記録した1日6334枚を突破
そして午後5時45分には、1日当たりのノルマ・1万枚を完売
午後7時の販売終了までに、お客さんをさばききれず、引換券で対応
そして、後日発表された初日の販売枚数は、なんと16610枚!

2日目となる福岡は11月9日
1店舗目のHMVキャナルシティは、静けさに包まれていた
前日(8日)は、2本のローカルラジオ番組に出演とサイン書き
同じオーディションを受けた元ライバルの声援もうけ、
順調に売り上げを伸ばし、ミニライブではパニック寸前
2店舗目のHMV天神でも、タクシーを囲むお客の波
不安はどこへやら、1日で9004枚!
ここまで、大阪・福岡の2日間で25614枚、約半分を完売!

3日目の予定だった名古屋は延期.....
「モーニング娘。」メンバーのうち、3人が出身の北海道
そのひとり圭織も、熱心にビラを書き、1軒ごとの訪問PR
1日で200枚のビラを配って歩いたのです
2日前からメディア出演、予約キャンペーン、街頭PRでお願い
しかし札幌での販売には、大きな不安が残っていた
1997年11月24日の札幌。そう、雪!
雪が降れば、寒さも重なり、客足は伸びないのではないか
またしても不安を抱えたまま、迎えた3日目。札幌キリンビール園
気温は1度。雪がちらつく中、それでも行列できたんです
その雪も、販売開始10分前の9時50分に止み、列は2kmと伸びる
雪の中、詰めかけてくれたお客さんをみて、圭織「北海道バンザイ」
感動に涙があふれる圭織。しかし、その圭織に異変が!
「目が見えない...」大事をとって急きょ病院へ行くことに
会場で待つ他の4人は、裸足になり圭織の回復を願います
圭織は応急処置をしてもらい回復、2時間のロスから戻り、笑顔を見せます
(のちに、左目の角膜がコンタクトで破れてしまったそう)
大阪よりハイペース、約5時間で1万枚突破!
ところが午後5時以降は、気温0度という寒さで客足は伸びず..... 途絶えたお客の波。痛む目を我慢しながら、待つこと数時間
そして販売終了。札幌での売り上げは14853枚! 天候に左右されながらも、すごい数字となりました

延期された名古屋での販売.....残り9533枚
11月30日の販売会場は、なんとナゴヤ球場!
雨模様の前日、ラジオ出演のあと、球場を下見。広さに驚きます
そして、ここでも街頭PR。しかし、以前のような活気に満ちた反応は有りません
地下街、商店街、名古屋駅前.....その心配もよそに!? 残り枚数から、東京の発売は一旦中止との発表
ナゴヤ球場には、各地からCDを買いにお客さんが集まりました。
前日の大雨も止み、11月30日は快晴!
2時間前、すでに4000人がスタンドを埋め、5人は大喜び
発売スタートと同時に、これまでと同様、順調に手渡されていく「愛の種
残り1000枚を知ると、圭織は俄然やる気!!!
そして、カウントダウン。残り10枚からはがあふれ.....
遂に、午後2時30分「愛の種」50000枚完売を達成!
ミニライブは、一生心に残るものとなったでしょう
その圭織の涙は、いつも以上に輝いていた.....

完売の瞬間.....圭織の胸中には...
圭織「んとねー、まずねー、小学校2年生の時の作文...(笑)」
その作文に書いてあったことは、歌手になることが夢ということ...
その夢が今も変わっていないこと。次々思い出すオーディションや合宿のこと
圭織は、いつもは表に出さない、独特の北海道イントネーションで打ち明けたのです

順調にスタートを切った「モーニング娘。」
メンバー5人に次なる試練が訪れたのは、名古屋完売の翌日だった...

<第6章(執筆中!)へ続く...>

(執筆:1997.12.29)


第4章・5万枚完売への挑戦(1)
     第5章・5万枚完売への挑戦(2)
          第6章・涙のメインパート争奪戦


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