[飯田圭織、これまでの軌跡。]


第4章・5万枚完売への挑戦(1)


CD発売直前、不安に駆られる5人.....

つんくは、悩む5人を召集、対談をしました
つんく「おまえらの人生やから、自分で決めなさいよって言うたやな、オレ...。」
その口調は、いつになく重いものでした
圭織「不安なんですよ。自分は売りたいって思ってるけど、実際問題、
自分で分かる数じゃないから...。」
つんく「それを自分で抜け出さなきゃあかんねん...。」「どう頑張れるか...。」
「プライドみたいなものを捨てる...。」
「流れに乗っていく...流されていく...それが自分を捨てること...。」
「様子をうかがう...それが難しいねん...。」、そして結論として...
つんく「1人でもまず多くの人に聞いてもらうってこと...認知してもらう...。」
ナイナイ岡村に指摘されるほど、真剣な表情で耳を傾けていた圭織...

1997年10月18日、5人は札幌のホテルに集結していた
つんくとの対談のあと、スタッフにキャンペーンをしたいとの申し出
札幌を皮切りに、2日間集中日本縦断キャンペーンを開始
やることを見付けた5人に、少しだけ笑顔が戻ります

まずは札幌。テレ東系のTVhテレビ北海道放送を訪れます
朝の生番組「おはようCandy」でPR。地元・圭織も笑顔!
終了後、足取り軽く控え室に戻ってみると、いきなり...
ASAYANプロデューサー泉氏の厳しい一言!
「君ら、ほんまにデビューする気あんの!?」
「これ売らんと自分の未来がないねんってことだけ分かっといて...。」
「お仕事でやってんとちゃうぞ!」と気持ちの軽さを指摘されます
気持ちを入れ替え、札幌での発売担当店・玉光堂PALS21へ、地下鉄で移動
店長さんへの挨拶、ポスター張り、地元誌の取材...

学校や会社があるため、2日間しかない5人
札幌空港で修学旅行生に囲まれながらも、15度差の福岡へ
午後4時、HMV天神とHMVキャナルシティを廻り、
TVQテレビ九州「熱血!!タカハチ組」へ出演してPRします
番組終了後には、自主的に反省会。休む暇無く、大阪へ移動

2日目の19日は、まずテレビ大阪「情報!生みそココがミソ!!」へ出演
11時45分過ぎ、中継先でのPRでしたが、レポーターばかりが喋って、口出せず
何とか、番組の最後に少しだけPRが出来ました
HMV心斎橋では、プロモとパネルの交渉をこなします

地下鉄と新幹線を乗り継いで、名古屋・HMV生活倉庫へ
ココでは、人の群に囲まれてPRも切り上げて、早々と退散

この2日間を通して、完売へと高まった決意...
ナイナイ岡村「...何されるか分からんよ...君、ついていきそうやな...あかんよ...。」
圭織「でも、買ってくれるなら、ついていきます...。」(爆)
マジでついていかないよーにね、圭織ちゃん(苦笑)

10月28日、2tトラックでCD5万枚の山が目の前に届けられた
圭織「思ったよりも、たくさんCDがあって、すごいビックリしました。」
そのCDを手に、ゆうせん東京支社を訪問。
翌日、一時帰省した安倍・飯田・石黒の札幌組は、ゆうせん札幌支社へ
ゆうせんというメディアを通じて、地元意識も大切にします

発売初日の前日(11月2日)、大阪入りした5人...
まず、中澤が打診していた摂南大学学園祭でのイベントに参加
パネルを持っての街頭PR、そしてMBS毎日放送「ヤングタウン」へ出演
深夜12時をすぎても、予約特典のサイン書き
実はこれ、5000枚書くのに12時間をかけたんです

同日放送のASAYAN番組内での最後のお願いは...
圭織「明日から、私たちの夢に向かっての第一歩が始まります。
どうか、皆さん、よろしくお願いします。」

そして1997年11月3日、ついに「愛の種」発売初日を迎えた.....

<第5章へ続く...>

(執筆:1997.12.15)
(加筆:1997.12.29)


第3章・「モーニング娘。」と「愛の種」
     第4章・5万枚完売への挑戦(1)
          第5章・5万枚完売への挑戦(2)


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